メモリグラフ

写真と記憶の記録 sasaki

20221030 inner child


その子どもは、なぜ自分が怒鳴られたり

こんな目に遭うのかがまるで分からなかった。

10歳にもならないこどもの話だ、仕方ないだろう。

 

 

”その人”がいる、その場に連れて行かれるのが嫌だった。

その場に連れて行く母のことも嫌だった。

でもそれを拒んだら母を悲しませると思った。

結果、

「今日は怒鳴られないだろうか」

そればかりを気にしてビクビクしながら時間が過ぎるのを待った。

何か言ったら怒られる?

笑ったら怒られる?

刷り込まれた防衛反応は大人になっても消えることはなかった。

 

 

 

なんであの人は私にこんなことをするんだろうという思いは

いつしか「あんな風にだけはなるものか」

という反骨精神に形を変えた。

その子は、他人を救いたいのではなく、幼い頃の自分を救いたくて今の職を選んだ。

なんて不純な動機なんだろう。

 

 

せめて勉強した。知識も経験もそれなりに積んだ。少しだけ、誰かの役に立てるようになった。

でもなんであんな思いをしなきゃいけなかったのかはやっぱり分からなかった。

わかったら、救われると思ってたのに。

 

 

大人になって、”その人”には必要以外に会うことも無くなった。

対抗できる知識も技術も持った。

私は私を自分で守れる。

それでも幼いその子はずっと悩んでる。どうやったら助けられるんだろう。

 

 

 



時間が経った。

 

今日、突然”その人”から着信があった。

何の用だ、今更。と思って電話に出る。

 

 

あんなに憎んだその人が、急に小さく見えた。

不思議とその子は救われたと思った。

 

 

「良かった。もうあの人に負けることはない」

 

 

だいぶ拗れに拗れた汚い感情だが、あぁもういいのかなと思えた。

もうあの頃に縛られずに生きてもいいのかなと思えた。

大袈裟だけど、もう一度生まれたような気がした。

 

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ありがとう。あなたのおかげで、私の心は挫けなかった。