2月はどうもよくない。
父が入院した。
幸い短期間の入院で済んだものの、
親が病衣を着て病床にいる姿を見ることは私に少し「父との別れ」を覚悟させるには十分だった。
というのも、「早く見つかったから良かったようなものの」という表現がぴったりなくらい、
一歩間違ったらハイさよならとなってもおかしくない病名だったもので
見舞いに行った時に
「今日棺桶越しでもおかしくなかったぞ」
と、照れくさそうに笑う父と話しながら
心から安堵のため息をついた。
わたしの父は、もう会社は辞めているものの
現役時代は「モーレツサラリーマン」という呼称がぴったりくるような人だった。
大体帰宅は午前すぎで
家を出るのは7時前。
一日10時間くらい寝る子どもだった私は子ども心に
「おとうさんっていつ寝てるんだろ」と不思議に思っていた。
どうやら他の家のお父さんは夜19時くらいには帰ってくるらしいと聞いてびっくりしたものだ。
私は当然父より母といる時間の方が長かったし
思春期になれば父と話す時間も減った。
でも基本的に娘には甘く、
「あぁお父さんのこの感じはうれしいんだな」
と察してうまく話せるようになったのは20歳を過ぎてからだったように思う。
親より先にしんではならぬと 心にとめながら
親を見送るのもつらいんだろうなと
少し心構えをした 2020年2月2日
少し心を落ち着けるためにレンズを持ち出した
枯れ紫陽花がきれいだった